
※登場人物は全て仮名です。
朝9時、洗濯機の前で深いため息をついた。
「また...」
42歳の田中美咲は、洗濯カゴから取り出したバスタオルに鼻を近づけて、顔をしかめた。昨日洗ったばかりなのに、もうあの臭いがする。雑巾を太陽で温めたような、あの嫌な臭い。
共働きで小学生の子供が二人。部屋干しが基本の我が家では、タオルの生乾き臭は日常茶飯事だった。柔軟剤を変えても、洗剤を変えても、洗濯槽クリーナーを使っても、根本的な解決にはならない。
「お母さん、このタオル臭い」
娘の容赦ない一言が、朝からグサリと刺さる。
「わかってるわよ...」
でも、タオルなんて消耗品。そんなにお金をかけるものでもないし、と自分に言い聞かせてきた。
転機は、週に一度通うスポーツジムで訪れた。
隣のロッカーで着替えていた女性が、小さなポーチから薄手のタオルを取り出した。見た目はペラペラで頼りなさそう。でも、シャワー後にそのタオルで髪を拭いている姿を見て、美咲は目を疑った。
「え、もう乾いてる...?」
髪の長いその女性は、美咲が普段ドライヤーに20分かけているところを、たった5分で済ませていた。
「すみません、そのタオル、どこで買われたんですか?」
思わず声をかけていた。
「あ、これ?速乾タオルっていうんです。吸水力がすごくて、しかも自分もすぐ乾くから、ジム通いには手放せなくて」
その女性は笑顔で教えてくれた。商品名、購入した場所、使い心地。美咲はスマホにメモを取った。
「生乾き臭も全然しないんですよ。うち、部屋干しなんですけど、朝洗濯して昼には乾いてるんです」
「昼に!?」
美咲の声が大きくなった。周りの人が振り返る。
うちのバスタオルなんて、24時間干しても湿ってることあるのに。
その日の夜、美咲はパソコンの前に座った。
「速乾タオル、っと...」
検索結果には山のような商品が表示された。価格も品質もバラバラ。レビューを読み始めたら止まらない。
「マイクロファイバー素材がいいのかな」 「いや、綿100パーセントの速乾タイプもあるみたい」 「吸水力は?耐久性は?」
気づけば2時間が経過していた。
「お母さん、まだ起きてるの?」
夫の呆れた声にハッとする。
「あ、ごめん。ちょっと調べ物...」
「また健康食品?この前のコラーゲンサプリ、まだ半分残ってるよ」
「違うわよ!タオルよ、タオル!」
そう、美咲には前科があった。去年は「奇跡の美容液」に3万円、その前は「骨盤矯正クッション」に2万円。どれも使ったのは最初の1週間だけ。
「タオルで興奮するなんて、歳取ったなあ」
夫の言葉に、ムッとしたけれど反論できない。でも、これは違う。毎日使うものだから。生活の質が変わるから。
よし!コレに決めた
選んだタオルは【新生活応援】バスタオル 6枚セット速乾吸水ホテル仕様のもの
3日後、宅配便が届いた。
段ボールを開けると、想像よりも薄くて軽いタオルが3枚。バスタオル、フェイスタオル、ハンドタオルのセット。
「これで本当に大丈夫なの...?」
不安になりながらも、その日の夜、早速使ってみた。
お風呂上がり、バスタオルで体を拭く。普通のタオルの半分くらいの厚さなのに、水分がグングン吸い取られていく感覚。
髪にタオルを巻いて、いつものようにドライヤーの準備をする。でも、タオルを外したときの髪の乾き具合に驚いた。
「え、もう半分以上乾いてる...」
いつもなら滴り落ちる水が、ほとんど残っていない。ドライヤーをかける時間は、いつもの半分以下だった。腕も疲れない。電気代も節約できる。
そして何より、翌朝。
洗濯物を干そうと洗濯機から取り出したタオルは、普通に脱水しただけなのに、驚くほど水分が少なかった。物干し竿に吊るして、わずか3時間後に触ってみると。
「乾いてる...完全に乾いてる...」
感動で鳥肌が立った。
「ねえ、このタオルいいわよ。すぐ乾くし、臭くならないし」
夕食の時、美咲は興奮気味に話した。
「ふーん」
夫は生返事。
「本当よ!洗濯が楽になるの。干す場所も取らないし」
「で、いくらしたの?」
「...それは...」
美咲は口ごもった。
普通のタオルの3倍の値段。セットで買っても決して安くはない。でも、耐久性を考えれば、吸水力を考えれば、時間の節約を考えれば。
「まあ、良いものは高いからね」
夫は意外にも優しく言った。
「君が満足してるなら、それでいいよ。生乾き臭のタオルで体拭くの、僕も嫌だったし」
それから1週間。
美咲は家中のタオルを見回した。洗面所、キッチン、トイレ、子供部屋。数えてみると、全部で20枚以上。
どれも使い古されて、ゴワゴワで、何となく臭い。
「全部、変えたい...」
でも、全部を速乾タオルに変えるとなると、結構な出費になる。
「いや、でも考えてみて」
美咲は電卓を叩いた。
洗濯の回数が減る。ドライヤーの時間が減って電気代も減る。何より、あの生乾き臭のストレスから解放される。朝、タオルが臭いかどうか確認する時間もなくなる。
「これは投資よ、投資」
自分に言い聞かせて、ネットショッピングのカートに次々と商品を入れていく。
バスタオル6枚、フェイスタオル10枚、ハンドタオル5枚。
カートの合計金額を見て、一瞬めまいがした。
「ちょっと待って、本当にこれ必要?」
冷静になろうとする。でも、もう一度、洗濯カゴの中の臭いタオルを見る。もう一度、あの生乾き臭を思い出す。
「必要!絶対必要!」
注文ボタンを押した。
翌日、美咲は夫に報告した。
「あのね、タオル、全部買い替えることにした」
「...全部?」
「全部。速乾タオルに」
夫は黙って美咲を見た。そして、深くため息をついた。
「まあ、いいんじゃない。君、最近楽しそうだし」
「え?」
「タオルの話してる時、目が輝いてるよ。コラーゲンサプリの時より、ずっと」
美咲は笑った。確かに、健康食品を買った時は「痩せなきゃ」「綺麗にならなきゃ」という焦りだった。でも、今回は違う。毎日の生活が、ほんの少し楽になる。ほんの少し快適になる。それだけで、こんなに嬉しい。
2週間後、我が家のタオルは全て速乾タオルになった。
洗濯が劇的に変わった。朝洗って、昼には乾いている。部屋干しでも臭わない。タオルを触るたびに、ふわふわで気持ちいい。
「お母さん、このタオル、ホテルみたい」
娘が嬉しそうに言った。
「でしょ?」
美咲は得意げに笑った。
夫も、文句を言わなくなった。むしろ、友人に自慢しているらしい。
「うちの妻がさ、タオルに目覚めちゃってさ」
その話を聞いて、美咲は少し恥ずかしくなったけれど、悪い気はしなかった。
42歳の大決断。それは、生乾き臭との決別であり、日常の小さな幸せへの投資だった。
洗濯物を干しながら、美咲はふと思う。次は何を変えようか。快適な生活のために、もっとできることがあるんじゃないか。
でも今は、このタオルの手触りを楽しもう。毎日使うものだからこそ、良いものを選ぶ。それが、自分を大切にするということなのかもしれない。
「さて、今日も3時間で乾くかしら」
物干し竿に速乾タオルを並べながら、美咲は満足げに微笑んだ。